とりすみコラム

木材自給率はたったの30%(パートⅡ)

日本は国土の7割が森林。でも木材自給率はたったの30%。そのわけは?(パートⅡ)

前回、そのわけを木材輸入の自由化もありと簡単に触れ解説しましたが、もう少し掘り下げてその訳を解説します。

1955年(昭和30年)ごろまで、戦後の復興などにより木材の需要は高まりましたが、戦中の森林の荒廃や自然災害などによって木材の供給が追い付かず、高騰が続いていました。昭和39年(1964年)東京オリンピックの年に、木材の輸入が全面自由化されると、国産材に比べて安い外国産の木材の需要が高まり、国産材の利用は急激に減少しました。その一方、将来の木材需要に対応しようと打ち出した拡大造林政策では、遊休地・草地はもちろん、広葉樹林を伐採してまで人工林化。全国で針葉樹(スギ、ヒノキ、カラマツなど)人工林が進められ、後に、わが国森林面積の40%(国土面積の1/4)を占めるまでに拡大しました。

  

▲木枯らし、手入れの行き届いた桧・杉の人工林

 

1975年(昭和50年)には1ドル360円の固定相場制から変動相場制になり、さらには円高も進み、その影響で国産材の価格が下落、日本の林業経営が厳しいものとなりました。現在日本は、国土面積の約7割弱が森林に覆われているにも関わらず、木材の7割以上を海外からの輸入に依存するという歪な状態が続いています。

 

わが国の林業不振・山の荒廃を招いている本当の原因は、「海外から安い木材が入ってくること」ではありません。「入ってくるように、日本政府が自ら制度を変えたこと」にあるのです。

木材関税撤廃が日本の山村に与えた影響は大きく、TPP議論活発は昨今、そのいきさつをあえてもう一度振り返っておきましょう。

こうした人工林は、いまや木材供給可能なまでに生育しています。ところが貿易自由化以来半、世紀の間に木材市場は、安くて豊富な外材に席巻されてしまっている状態です。

昭和30年には95%だった木材自給率は、平成10年代には18%にまで落ち込み、木材価格も昭和50年頃をピークにして、現在はその3割まで下落しています。

林業の不振のため、農山村から若い働き手が流出して山林労務は老齢化、生育に伴って必要な人工林の間伐等保育手入れも不十分な状態が続いているのです。せっかく木材を供給できる宝の山である人工林が育っているというのに、これでは本末転倒ではありませんか。

▲手入れ不足で密立するヒノキ人工林(二束三文)

 

安易な自由化が、林業という日本の基幹産業のひとつを破壊し、さらに農山村を追い詰めてしまったのです。昭和40年代から平成10年までの30年間に、先刻14万集落のうち5%の7,500もの集落が消え、平成22年の国政調査では、更に3,000の集落が消えたといいます。森林国・日本においては、林業の衰退は日本全国共通の悩みであり、それは農山村の経済不振たけでなく、国土の環境を護る森林の力も衰えてくることを忘れてはなりません。

 

緑豊かな森林を育てるためには、間伐が欠かせません。間伐を行うと林内に日(光)が入り、林床に植物が育ち、豊かな生態系が形成されます。逆に定期的な間伐を行っていないと、木は枯れ、森は荒廃し、やがて山も枯れてしまいます。

間伐を行わず暗くなった森林では地表がむき出しになり、雨などと共に養分のある表土が流れ出してしまいます。その結果、土砂災害や風雪被害等が増え、更に森が荒廃するという悪循環になってしまいます。間伐はこうした被害を防ぎ、強く良質な木を育て、緑豊かな森林を育てるためには欠かせないのです。

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