【大仏様と大仏殿の波欄万丈の歴史ご存じですか】
大仏殿は二度の戦火で消失し、大仏さまは、449年前の戦火で頭が溶けて無くなる。
他の寺院に無い波欄万丈の歴史を背負っているのを知っていますか?
現代の大仏殿は、307年前に再建された3代目です。
奈良⇒平安⇒室町⇒江戸時代に渡る951年の歴史
縄文時代 前14000年頃 – 前数世紀
弥生時代 前数世紀 – 後3世紀中頃 神武天皇
古墳時代 3世紀中頃 – 7世紀頃
飛鳥時代 592年 – 710年
奈良時代 710年 – 794年 ★758年 東大寺創建(45代;聖武天皇)⇒ 平城京(初代)
▲聖武天皇 正面の幅⇒88m 奥行き⇒55m 高さ⇒47m
創建当初は、現在のものより大きく、東西には、100mに達する七重塔が配されていた。
(大仏さまは、金ぱくのメッキが施されていた)
【日本最古の公害問題】
金と水銀とを混ぜて溶かし、金アマルガムを作り、これを125tの銅製の大仏の表面に500℃の熱を加えて水銀を飛ばすと金メッキができる。(奈良県は水銀の宝庫)金9t、水銀50t使用大和水銀鉱山の産出量の2年分。有機水銀中毒で大勢の人が死亡。
平安時代 794年 – 1185年 ★1181年東大寺戦火 (平安京)
平清盛⇒平重衡(しげひら)が南都を焼きはらい、これを見て民衆は平家は滅びると噂した。(平氏と寺院勢力の対立)
鎌倉時代 1185年 – 1333年 ★1190年東大寺再建 (重源) 2代目
後白河上皇⇒重源に再建を命じ、源頼朝の協力を得る。
▲再建時の大仏殿(模型)
正面の幅⇒88m 奥行き⇒52m 高さ⇒47m
建武の新政 1333年 – 1336年
室町時代 1336年 – 1573年 ★1567年東大寺戦火 (三好・松永の兵火)
南北朝時代 1336年 – 1392年
戦国時代 1467年(1493年)– 1590年
安土桃山時代 1573年 – 1603年
江戸時代 1603年 – 1868年 ★1709年東大寺再々建 (公慶) 3代目
・1686年公慶が大仏の修理始める。1691年修理完了(5年間の修理)
・元禄6年、(1694年⇒1708年14年かけて大仏殿の再建する)
・公慶が5代将軍「徳川綱吉」とその母「桂昌院」家光の側室に喝見(えっけん)したことをきっかけとして、
東大寺復興は、江戸幕府主導の国家的大事業となって行く。資金が足りず、鎌倉時代より幅を狭くした。
⇦公慶
▲徳川綱吉 ▲桂昌院
★綱吉・桂昌院が12万1千両の援助をする。
☜再々建時の大仏殿(模型)
正面の幅⇒57m 奥行き⇒50m 高さ⇒48m